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加部 遼太郎
(24入社・京都大学大学院)
知りたい方はこちら記事(動画有り)超エリート学生が、まだ無名のemologyに新卒第一号として入社し、人生180度変わった話 -
石原 翔悟
(24入社・慶應義塾大学)
肩書きよりも、成長を選べるか。
慶應の学生起業家として”すべてのキラキラを手にした”
と思った僕が、
すべてを手放して無名ベンチャーの
平社員として一から成長することを決めた物語です。小学校から続けてきたバスケットボールでは、兵庫県選抜スタメン。
高校は県内有数の強豪校で特待生。2カ月でスタメン獲得し、2年次には先輩を差し置いて副主将。3年次には主将として歴代最高成績を記録。その負けん気は受験勉強においても発揮され、猛勉強の末、偏差値40台の高校から史上初、大阪大学と慶應義塾大学にW合格。
高校2年生の時に抱いた「本物の経営者になりたい」という夢を実現するために、
全国から起業を志す学生が多く集まるであろう慶應への進学を決めました。入学後すぐに、世界的SNS企業での長期インターンにジョイン。
また、志を同じくする友人にも出会い、ともに起業に挑戦しました。
いくつも事業を立ち上げて月商は100万円を突破し、収益の安定化にも成功し法人を設立。自社の営業活動で出会った経営者の方々からは、ありがたいことに、
「石原くんめちゃくちゃ優秀だね」「ぜひうちで働かない?」と声をかけていただくことも少なくありませんでした。
「このままいけば、間違いなくイケてる経営者になれる」
当時の僕は、そんな自信に満ち溢れていました。そんなある日、僕はいつものように自社の営業をおこなっていました。
いつも通りにサービスのプレゼンを終え、手ごたえを感じていた僕に対し、その日の商談相手は、
「せっかくだから、石原くんの今後の成長のためにフィードバックするね」と言い、
僕の営業について1時間以上にわたってフィードバックを与えてくれました。
しかもその内容が受注率が何倍にもなるんじゃないかと思うくらい的確なフィードバックばかりで夢中になってメモを取りました。そしてメモを取る中で「よっしゃー!これでもっとたくさん受注できるようになるぞ!」という興奮と同時に、
自分でも思いもよらぬ感情が、胸の奥から噴き出すように込み上げてきました。
「今まで通り”褒められる”ばかりを繰り返していては、一生かかってもこの人に勝てないのではないか」
「この人のもとで修業したい!!!」これこそがemology代表荒井との出会いでした。
荒井に直談判し、自分の会社と並行してemologyでの長期インターンをスタート。
そこから今日にいたるまでの日々は、大きな挫折と大きな成長の繰り返しでした。
営業には自信があったものの、アポは取れないし、受注なんてもってのほか。
無名のベンチャーで成果が出せずに大量のフィードバックシャワーを浴び続け、正直心が折れかけたときもありました。
それまでの、バスケでスタープレイヤー、慶應で学生起業して収益化成功といったキラキラした華々しいキャリアとは真逆にも見える日々でした。
それでも、取れなかったアポが段々取れるようになり、0%だった受注率が徐々に上がっていき、新規営業のみだったところから既存顧客の担当も任せてもらえるようになりました。そこにキラキラはありません。あったのは、ビジネスマンとしての成長、人としての成長、本当の意味での自信、そして仲間。
元々はキラキラに憧れてGAFAMか戦略コンサルに入社しようと思っていましたが、
本物の経営者になるという夢を叶えるためにはemologyしかないと確信しました。
その本気の覚悟を荒井に伝えて、こんな事例が世の中にあるのかわからないのですが、
1社も就職活動をすることなく、大学在学中にもかかわらずemologyに正社員として入社すること、そしてすべてを注ぎ込むことを決めました。それは同時に自分が代表を務める会社を辞めるという決断でもありました。
会社のメンバーからは猛反発されました。泣きながら夜中まで大喧嘩しました。
それでも最後は笑顔で僕のことを応援してくれました。
あの日のことは一生忘れないと思います。僕は学生起業家でもなくなりました。
社長でもなければ主将でもない。
GAFAMや戦略コンサルのようなブランドもありません。
肩書きを全て捨てて、無名ベンチャーの平社員として一から成長することを選びました。そして、今確実に言えるのは──
「あの頃の自分とは、比べ物にならないほど成長できている」という実感があること。その証のひとつとして、かつて受注率0%だった僕が2024年下半期には全社MVPを受賞することができました。
まだまだ道半ばではあるものの、自分の成長・そして大切な仲間からの信頼の証として、それを心から誇りに思っています。ちなみに後日談として、初めて僕と出会って大量のフィードバックをくれた日のことについて、
荒井から「もしかしたらこの子はemologyにマッチするかもしれない」と、
GIVERとしての純粋な善意もありつつ、最初から僕に入社したいと思ってもらうためにもフィードバックしていたと聞かされたときは本当にビックリしました。
「営業は誘導の芸術」と言われますがあれこそが最高の誘導であり最高の営業でした。気づいたときにはemologyに入りたくなっていました。
今振り返ると、emology入社前の僕の営業は、あれは営業とは言えない、営業風のお喋りか何かでしたね(笑)僕の目標は、ただ経営者になることではありません。
「荒井を超える経営者」として、大切な仲間を勝たせ、多くの人を幸せにすることです。その夢を叶えるために、これからも僕は挑戦を続けます。
知りたい方はこちら記事(動画有り)"本物の経営者"を目指すため、慶應在学中に正社員入社|学生起業家が語る覚悟の物語
就活無双に価値はなかった。
「現状を肯定され続けた先に、自分の求める成長はない」
僕の夢は、「自分の人生に絶望する人を一人でも減らす」こと。
学生時代、お世話になった先輩の自死を経験し、誰かを救うためには、ただそこにいて手を差し伸べるだけではダメなんだと知りました。
人が相談しやすい人になる。人の悩みに寄り添う。それはもちろん素晴らしいことです。
でも、大切な人を救えなかったことで、
「誰かを救うということは、こんなにも難しいことなのか」
「今の自分のままでいては、また大切な人を救えない日が来る」
「大切な人を救いたい日がいつ来るかわからないからこそ、最速で成長しなければならない」
そう痛感しました。
誰かを救うために必要なのは、まず頼ってもらえる人であること。次に、問題を本質的に捉え解決策を導き出せること。そして、相手の行動を変えること。
当時の僕には、そのすべてが不足していました。
そこで僕は、“新卒入社”する企業を選ぶ上で、
①優れた経営者と肩を並べるレベルの「問題解決能力」を最速で身に付けられるか
②高難易度の営業やマネジメントを通じ、「人を動かす力」を高いレベルで身に付けられるか
という軸を掲げて、就職活動を始めました。
就活初期には、優秀な人が集まるだろうという漠然とした理由で、いわゆる大手企業ばかりを見ていました。
学歴の助けもあって、選考にはそれほど苦労せずに済みましたし、
面接やグループワークでも、ありがたいことに、褒めていただくことの方が圧倒的に多かったです。
そしてそれは、より実力主義の環境を求めてミドル~メガベンチャーを受けるようになってからも同様でした。
そんな時、信頼しているエージェントの方の紹介で、emologyに出会ったんです。
初回から代表の荒井との面談。荒井は、僕が今まで経験してきた”褒められる面談”とは対照的に、
限られた時間の中で僕に大量のフィードバックを与えてくれ、しかもそのどれもが、僕にとってどんぴしゃで、ハッとさせられる内容でした。
もしかしたら当時の天狗だった僕には、普通に言われたらムッとするような内容もあったと思います。
ただ厳しいことを言うのではない、自ら能動的に課題に向き合いたくなる、そんな伝え方がなされていたのだと思います。
無論、当時の僕は荒井の話を聞いてただ興奮するだけで、そこに人を動かす技術が隠されていたことには気づきもしませんでしたが。
「自分は、褒められるだけの環境に飽きていたんだ」
「現状を肯定され続けて就活無双した先に、自分が求める成長はない」
「ここでなら、自分の想像を超えるような成長がきっと得られる」
「3日間の体験入社(最終選考)に進もう」
面談が終わったときには自然とそう思うようになり、まさに自分が突き動かされた瞬間でした。
emologyのメンバーは20名未満。
体験入社の3日間で、全社員と顔を合わせることができました。
自分に近しい夢を持ち、しかも圧倒的な人間力を兼ね備えたメンバーが揃っていて、
誰に質問しても、自分の本気のアウトプットを大きく上書く高レベルのフィードバックを与えてくれ、
社員全員が、「人を動かす」といった抽象的なテーマに対し、逃げずに言語化し続けている。
夢の実現にとって、これ以上に理想的な環境はないと思いました。
正直言うと、体験入社前は「凄いのは社長だけなんじゃないか」という疑念もありましたが、それは100%晴れました。
3日間の体験入社を終え、emologyへの入社を決意。
他に内定をいただいていた会社はすべて、ネームバリューも初任給も、emologyをはるかに上回る会社ばかりでした。
華やかな肩書きに惹かれる気持ちももちろんありましたが、emologyには「配属ガチャ」も「上司ガチャ」もない。
自分や仲間の成長に、ただ純粋に、そして本気で向き合い続ける、とんでもなく優秀なメンバーがいるだけでした。
「この環境で夢を叶えられなかったら、なんの言い訳の余地もなく俺が悪い」そう思って飛び込みました。
内定者インターンから数えて3年目、新卒入社から2年目の現在は最年少リーダーとして日々奮闘しています。
実は僕は大学時代、体育会アイスホッケー部で主将を務めていました。
未経験者主体のチームでありながら、歴代最高クラスの成績を残すなど、良いチームをつくれた自負がありましたし、リーダーとしての振る舞いにも一定自信もありました。
でも、emologyにおける「最高のチーム」の基準は、僕が思い描いていたそれよりもはるかに高いものでした。
「困っている人にただ手を差し伸べることが本当の優しいではないこと」や「部活動や受験などの大勝負に勝ってきたと自負していた自分が、仕事というフィールドでは日々負けまくり、這い上がり、また負けまくりの連続」。人生が180度変わるような学びや経験をいくつもしてきました。
本気で人やチームに向き合い続け、その本質を言語化し続けているemologyという環境だからこそ、
「人を動かす」「最高のチームを創る」といった深く本質的なテーマについて、自分視点では得られなかった気づきを得ることができ、自分自身変わっていったんだと思います。
実は、リーダーになってから、失敗の数は以前よりも格段に増えました。
でもそれは、決してネガティブなことではなく、それだけレベルの高い課題に向き合い続けている証拠だと思いますし、
自分の成長角度が年々、いや、冗談ではなく毎日上がっているのを実感しています。
リーダーになったら修行期間を抜けるのかななんてちょっと思っていましたがむしろ逆でした(笑)
今の僕の目標は、emology社内で日々飛び交う本質的なフィードバックを、体系化し、組織コンサル事業を新規事業として形づくることです。
自分をこれだけ変えてくれた・変え続けてくれているノウハウは、このまま社内だけに留めておくのはもったいない・世の中にとって有益な資源だと考えています。
それらをもっと多くの人に発信し、体得してもらう仕組みをつくることで、
僕の夢である「自分の人生に絶望する人を一人でも減らす」ことに向かって、大きく前進できるんじゃないか。そう思っています。